2015年06月22日

【全文】集団的自衛権「合憲派」の西・百地両教授が会見〜@冒頭発言



BLOGOS編集部  2015年06月22日 16:30  http://blogos.com/article/118163/

【全文】集団的自衛権「合憲派」の西・百地両教授が会見〜@冒頭発言 1/2

6月19日、集団的自衛権の容認派として知られる駒澤大の西修名誉教授と日本大の百地章教授が日本記者クラブで記者会見を行った。
会見で、両氏は、現行憲法の下でも、集団的自衛権の行使は可能であるというその根拠を展開。
また、衆院憲法審査会で「違憲」との考えを示した3人の憲法学者について反論した。
質疑応答では、そのうちの一人、小林節・慶大名誉教授が質問に立つ一幕も。


西教授の冒頭発言

西:結論部分を申し上げて、それに関連して説明をさせていただきます。

(一)憲法第9条の成立経緯を検証すると、同条と第66条2項とは不可分の関係にあり、自衛権の行使はもちろん、自衛戦力の保持は認められない。

(二)比較憲法の視点から調査分析すると、平和条項と安全保障体制(集団的自衛権を含む)とは、矛盾しないどころか両輪の関係にある。

(三)文理解釈状、自衛権の行使は全く否定されていない。


(四)集団的自衛権は、個別的自衛権とともに、主権国家の持つ固有の権利(自然権)であると位置づけられております。そこで両者を全く区別しておりません。

(五)集団的自衛権の目的は抑止効果であり、その本質は、抑止効果に基づく自国防衛であります。そのような国際的な共通認識の下に、世界では集団的自衛権の網が張り巡らされております。かつて北大西洋条約とワルシャワ条約の存在があったからこそ、ヨーロッパで冷戦が熱戦になりませんでした。

(六)我が国は、国連に加盟するにあたり、何らの留保も付しませんでした。国連憲章第51条を受け入れたと見るのが常識であります。

(七)憲法第9条の解釈との関係は、ここで一応私はクリアしていると思います。要するに、固有の権利である個別的自衛権、集団的自衛権を特に分けないで受け入れたということですね。憲法解釈と政策判断の問題をきちんと分けてこなかったことが、混迷の最大の要因であると、私は思うわけであります。

ここのところが少し飛躍しておりますので、説明を加えさせていただきます。
要するに、憲法9条との関係というのは、あくまで、集団的自衛権と個別的自衛権を分けないで受け入れた。だからこれは、両方共、自衛権として、解釈上は両方とも受け入れているんだ。
ただ、この憲法解釈と政策判断の問題ということでありますけれど、なんでも政策判断で出来るのかというと、決してそうではございません。憲法解釈としては、やはり自衛権の枠内であると。

それから国際平和の秩序安定。そういうものに資する。こういう大きな憲法の平和理念というものが、当然憲法上の要請としてあります。
だから、政策判断ではありますけども、そういう憲法上の要請は受けているんだということを、誤解のないようにしていただきたいと思います。

(八)政府は、恒久の平和を念願し、国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。誠意と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するという国民の願いを厳粛に受け止め、国際平和の推進、国民の生命、安全の保持等のため、最大限の方策を講ずるべき義務を負っている。こんな風に思うわけであります。

(九)国民の付託を受けている国会は、自衛権行使の範囲、対応、歯止め(制約)、承認の有り様などについて審議を尽くすべきである。
そして、今の問題でありますけれども、今回の安全保障関連法案は新3要件など、限定的な集団的自衛権の行使容認であり、明白に憲法の許容範囲である。これが私の結論であります。

もう少し、詳しく時間の許す限り説明を加えさせていただきたいと思います。
憲法第9条と自衛権の行使との関係でありますけども、私は GHQ の中心人物チャールズ・ケーディスに4回会ったり、極東委員会でかなり詳しく調べて参りました。
ごく簡単に言うならば、自衛戦争も放棄して、これを中心に日本の憲法を作れというのが、マッカーサーノートでありました。

そこには、自衛戦争の放棄がはっきり明記されておりました。
けれども、民政局次長で、日本国憲法作成案の中心的人物であるチャールズ・ケーディスは、自衛権放棄の部分は削除いたしました。
なぜ削除したのか。「これは非現実であると思ったから」と、私にはっきり言っておりました。
「It seem to me that was not realistic」とはっきり言いました。

だから、その部分は削除したんです。
そこで総司令官が出てきた。これが成立過程の第一の大きなポイントであります。

第二のポイント。いわゆる芦田修正。
芦田修正については、あえて詳しく言う必要もないかと思います。
自衛のためであれば、自衛戦力の補助は可能である。
要するに、芦田修正において、自衛のためならば、自衛戦力は保持し得るんだと解釈の余地が出来ました。
この後であります。この後の成立・過程について、ほとんど調べてなかったんですね。

そこで私は、ワシントン、イギリスの国立古文書館まで行って、極東委員会の資料を精査しました。これは、かなり議論になったんです。芦田修正が。
そこでどういう結論になったか。
ここで、こういう発言があったということを申し上げておきたいと思います。

「中国の代表が芦田修正によって、我々に次のことを教えてくれるであろう。
すなわち、戦争目的や国際紛争解決するための威嚇としての軍事力を行使する以外の目的。すなわち、自衛目的であれば、軍隊の保持を認めることになろう。」

これは絶対に許されない。こういう意見が極東委員会の中で大勢を占めたわけです。そして、その意見がマッカーサーを通じて、吉田首相に渡されました。
この時は、貴族院の段階でした。
そこで、極東委員会の強い要求だということで、現在の第66条が導入されたわけであります。
その間、非常におもしろい言葉が残っております。

それは、文民条項の導入ということで、宮沢俊義先生が「もうこれは、しょうがねえんだ。どうやってもしょうがねえんだ。自主的ではないんだ。自己欺瞞だ」とはっきり言ってるんです。
そしてこれが、強引に入れられたんです。

なぜ入れられたのか。
要するに、芦田修正によってですね、自衛のためなら軍隊が出来る。軍隊が出来ると、軍人が排出する。軍人が排出すると、大臣になる。大臣になると、ミリタリーコントロールになる。
だから、それはダメだというんで、極東委員会のものすごい強い要求で今のシビリアン・コントロール。すなわち、文民条項が入ったんです。それが歴然たる事実なんです。

このことについて、この時の政府は知りません。学説もこのことをきちんと報告しているものがありません。
ですから私が申し上げたいのは、66条に文民条項が入った背景を、歴史的にきちんと検証して欲しい。66条と9条の不可分の関係というところを、私は強調したいところであります。

次に、比較検討的な側面から申し上げたいと思います。
よく我が国の憲法は、平和憲法と言われ、「非武装でなければならない」と言われますけれども。これも私は、世界の188の成文憲法を調べてみました。すると、188のうち158の憲法には平和条項があります。

では、その平和条項というものが、非武装を言っているのかというと、全くありません。
平和条項と国防条項というのは両輪の関係にあります。
それから、例えばですね、我が国の国際紛争解決手段としての戦争放棄。これと同じような規定をしているところが、イタリア、エクアドル、アゼルバイジャン。
それらの国においては、軍隊を持ち、徴兵制、兵役の義務を持っております。

それともう1つ。これは世界の1990年以降から2010年までに作られた全く新しい102カ国の憲法を全部調べてみました。
その中の、9つのものについて、ご報告を申し上げたいと思います。これは誰もやっていませんので、少なくともこれだけ見つけたということが分かりました。

それと同時に、国家非常事態条項、これは102カ国で全部あります。
世界の憲法というのは、平和と安全、国家非常事態の対処。当たり前のことなんですね。そういうことから、憲法9条というものの成立過程、それをまた広く世界の中から見て行きたい。私はそんな風に思うわけでございます。そして、私なりに一生懸命努力したつもりでございます。100何カ国大変だったんです。2年がかりだったんです。

それから次に、文理解釈の視点から。砂川事件大法廷判決をどう見るか。
これは、私が全部しゃべってしまうと、百地先生に悪いですからね。ここのところは、百地先生が、もうちょっと強調なさるはずであります。
読み方とすれば、基本的には同じであるということで、百地先生にお譲りしたいと思います。

それから、集団的自衛権とは一体なんでしょうか。
典型的なものとして、北大西洋条約の第5条があります。
要約ですけど、「条約加盟国の一国ないし二国以上に対する武装攻撃は全ての加盟国に対する攻撃と見なして、地域の安全を回復し、及び維持するために兵力の使用を含めて、必要と認める行動を共同してとることにより、非攻撃国を共同で援助すること」これが、北大西洋条約。かつてのワルシャワ条約、米州相互援助条約も、これとほとんど同じです。

今日、北大西洋条約を始め、米州相互援助条約などの多国間条約。米韓相互防衛条約、米比相互防衛条約などの2国間条約などが張り巡らされ、自国防衛のように供しているわけであります。これが世界の現状なんです。
集団的自衛権のほうが、自国のみの防衛よりも遥かに安全で安上がりだと。そういう国際的な共通認識があるからこそ、集団的自衛権が張り巡らされているわけであります。
その目的はなんでしょう。抑止効果です。そしてそれに基づく本質はなんでしょう。本質はそれに基づく自国防衛です。

だからこそ、さきほど言いましたように、北大西洋条約とワルシャワ条約の存在があったからこそ、ヨーロッパでの戦争を良くしてきたという霊言な事実に目を向けるべきだと私は思います。

一方、無いのはスイスなんですね。
スイスは永世中立国として、集団的自衛権は否定しておりますけども、ただし、みなさんご存知と思います。ハリネズミのような重武装。徴兵制を敷いております。
集団的自衛権の禁止派は、我が国をこのような国防体制を取ることを望んでいるんでしょうか?
やはり、日米の同盟関係の中で、我が国の安全保障を維持していく。こちらの方を多くの人が望んでいるんではないでしょうか。

そして、国連憲章51条でありますけれども、集団的自衛権を個別的自衛権と共に、各国が持つ固有の権利。
固有の権利というのは、国連で公用語とされているフランス語、中国語で「自然権」という訳語があてられております。
「自然権」とはなんでしょう。人は生まれながらに持っている権利が自然権であるように、国家がその存立のために持つ権利が個別的自衛権であり、集団的自衛権であります。
そこに何らのサインは設けられておりません。

そしてまた、集団的自衛権がなぜ入れられたのか。
アメリカ・フランス・イギリス・ロシア及び、中国の5大国が拒否権を持っている集団安全保障体制だけでは、自国の防衛を期待できない。
だから、現代の集団安全保障体制では、ある国が国連憲章に反するような行為を行えば、最終的には軍力を講ずることができるけれども、そのためには、上記5カ国のすべてを含む安全保障理事国15カ国のうち、9カ国の賛成が必要であることは、ご存知の通りであります。

特に常任理事国の5国中、いずれか1カ国でも反対すれば、効果的な措置を取ることはできません。
そこで有効な措置として、存在しているのが集団自衛権であり、中南米小国の要求によって、これが入ったわけであります。

次に、政府及び学説の解釈について、一言申し上げたいと思います。
政府の統一解釈。我が国が国際法上、このような集団自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において、許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため、必要最小限の範囲に留めるものと課しており、集団自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されると考えている。

その淵源は、昭和47年10月の政府資料なんですね。
当時は、非武装と反安保となる社会党が一定の勢力を保ち、同党の必要な攻撃に対して、政府は防戦を余儀なくされた。
従って、論理的な既決というよりも、政治的な解決が色濃く反映された結果といえる。

そこで政府解釈に対する、基本的な問題でありますけど、先ほどの政府解釈について、私なりに非常に疑問を感じるわけであります。
日本は主権国家であり、憲法上自衛権の行使が否定されていないというならば、なぜ集団自衛権の行使が認められないのか。
国際補助主権国家として、当然認められている、集団自衛権の行使を認めないというならば、日本は主権国家ではないのだろうか。
集団自衛権の行使は、なぜ憲法上許される必要最小限度を超えるのか。
憲法上許される必要最小限度の集団自衛権の行使もあり得るんじゃないか。
そんな根本的疑問に十分に答えないまま、何十年も過ごしてきたのが現状であります。
そしてそこに、解釈上の切れ目が生じてきたわけであります。

最後に、東京大学教授から最高裁判所裁判官に転じた伊藤正己氏の指摘をちょっと申し上げておきたいと思います。
「民商法、刑事法などの領域では、明治以来今日まで、学説と判例は、一般的に手を携えて解釈法理を発展させてきた。
ところが、憲法の領域では学説と判例の落差が相当に大きいように思われる。
率直にいって、民刑事法の領域と比較して、憲法判例の場合に裁判官を指導する力が乏しい気がした」とおっしゃっています。

政府の本来の解釈がやっぱりおかしいんです。
おかしいところに、さらに積み重ねて言ってきた。段々上塗りしていって、目塗りがどうにも出来なくなった。
私の趣味は落語ですけど、「鼠穴」というのがありましてね。鼠穴から入っていって、大火事になったということがありますけども。どっかに漏れる。それが大きくなっていくということであります。

憲法第9条の評価について、これはあえて申し上げたいと思いますけども。
今、護憲を主張なさっている共産党。以前はどんなことを言っていたのか。
昭和21年8月24日の本会議であります。「現在の日本にとって、今の9条は1個の空文に過ぎない。日本共産党は、一切を犠牲にして、我が民族の独立と繁栄のために奮闘する決意を持っているのであります。
要するに、今の9条は、我が国の自衛権を放棄して、民族の独立を危うくする危険がある。それに我が党は民族独立とこの憲法に反対しなければならない。」これが当時の共産党の意見であります。

さて、そこで一体どうすればいいか。小さく私なりに考えてみました。
政府及び学説は、第9条の成立経緯及び、国連加盟時の原点、すなわち自衛権の行使は可能なんだ。自衛戦力の保持も可能なんだ。個別的集団自衛権も容認できるんだ。
そういう立場に立ち戻り、解釈の再構成をすべきだと思います。

一言でいうならば、私の説を取りなさいと。
これは不可能です。だからどうすればいいか。流れが来ているわけであります。
究極の国民投票。私は提案したい。
第9条、誰が読んでも自衛戦力さえ持てない非武装条項に改めることと、誰が読んでも自衛戦力(軍隊)を持てるような条項に改めるため、二者択一の国民投票を実施することを望みたい。

最近、出しました「いちばんよくわかる!憲法第9条」を読んでいただきいたいと思います。
最後に、色々と新聞なんかを見ていると、政府解釈の細かいことを、針の穴をつつくような記事もあります。
やっぱり今、一番大切なのは、我が国の厳しい国際情勢を冷静に分析することが寛容なのではないでしょうか。

制度には必ずメリットとデメリットがあります。
ある新聞などは、デメリットだけをやっている。メリットは全然伝えていない。
日米安全保障条約、PKO、その時の状況もありました。PKOの場合、国会で私は発言しました。学説は少数派でした。でも今、PKO反対の方はどれぐらいいらっしゃいますか。
そういうメリット・デメリットを是非、後世に報道していただきたいと思います。

就中、戦争などのレッテル張りはやめましょう。
私は、内容は、戦争抑止法だと思っております。
もちろん、中身を精査することは必要であります。
しかし、もっと大きな目で平和安全保障体制をどう考えるか。そして、その中で、限定的な課題の集団自衛権。これを認めることによって、我が国の平和、世界の平和、安全保障。もっと広い目で考えてみましょう。

そして、決して憲法はそれを否定しているわけではありません。
むしろ、国際社会の平和、秩序、意思。これを憲法が要求しているんだ。
そういう中で、憲法を本当に前向きに考えてみようではありませんか。
ちょうど30分ぐらいになりましたので、私の発言は以上にさせていただきます。
どうもご静聴ありがとうございました。



百地教授の冒頭発言

百地:ただいまご紹介いただきました、日本大学の百地でございます。
最近は、合憲3人組の1人ということで知られているようでございますけれども、早速本題に入らせていただきたいと思います。

最初に、集団的自衛権の合憲性について、私の結論を申し上げます。
結論ですが、昨年政府は、集団的自衛権に関する従来の政府見解を変更しました。
これまで保有は認められるけれども行使できないとされてきた集団的自衛権の行使を限定的に容認することになったわけであります。

この集団的自衛権は、国連憲章11条によって、すべての加盟国に認められた国際法上の固有の権利です。
それ故、憲法に明記されていなくても、我が国が主権国家として、集団的自衛権を有し、これを行使できることは当然であります。

他方、憲法9条には、集団的自衛権の行使を禁止したり、制約したりする規定は存在しません。
それ故、我が国は、国際法上、集団的自衛権を行使することは明らかであります。
この点、砂川事件最高裁大法廷判決も、集団的自衛権を射程に入れたうえで、我が国が主権国家として自衛権を有し、必要な措置だということを認めております。

ただし、憲法第9条2項は戦力の不保持と交戦権の否認を定めておりますから、その限りで、集団的自衛権の行使が制限されることはあり得ます。
そのため、政府の新見解も、集団的自衛権行使の限定的容認に留められました。
従って、政府の新見解は、憲法9条枠内の変更であり、全く問題なし。憲法には違反しません。
以上が私の結論であります。

次に、6月4日の衆院憲法審査会における3人の参考人の見解について、簡単に私見を述べてみたいと思います。

審査会終了後、早速、速記録を入手して読んでみましたが、3人とも集団的自衛権の行使容認は憲法違反であるという結論においては一致しておりますが、なぜ憲法違反なのか。あまり明確な説明がないし、よく分からないところがあると思いました。
また、その説明についても多々疑問があります。

最初に長谷部教授でありますが、
彼は新見解が集団的自衛権の行使は許されないと指摘した従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明が付かないこと。
それから、法的な安定性を揺るがすこと。
さらに、外国の軍隊の武力行使との一体化に繋がるのではないかということを理由としているようです。

しかしながら、違憲というためには、それが憲法の枠を超えることの説明が必要であります。しかし、その説明は見当たりません。
また法的安定性の確保も大変でありますけれども、例え、法的安定性を欠いたとしても、それだけで憲法違反ということにはなりません。

もう1点、政府見解がこれまで武力行使との一体化を禁止してきたこととの整合性ということですが。この武力行使との一体化論は元々、自衛権の発動とは別次元の話です。
つまり国際貢献の一貫として行われてきた他国軍への後方支援活動の際の判断基準でありまして、我が国独自の解釈です。

他方、自衛権の発動となれば、これはまさに武力行使そのものにつながるわけでありますから、全く次元の異なる話なんですね。
その武力行使との一体化論を、集団的自衛権の限定容認を違憲とする理由とするのは、当たっていないのではないかという風に思います。

次に、小林節教授です。
違憲理由は、憲法9条2項に違反するからというもののようですが、その論理は私にはあまり明快に思えませんでした。
まず、軍隊の不保持との関係でいえば、必要最小限度の実力は保持できるというのが、従来の政府見解ですし、交戦権は認められないけれども、自衛権の行使としてであれば、相手国兵力の殺傷や破壊等を行うのも許されるというのが政府見解であります。
このことが国際法上認められた、固有の権利としての、集団的自衛権の行使そのものを妨げるとは思いません。

ご参考までに、興味深い著書をご紹介したいと思います。
小林節という方が「憲法守って国滅ぶ」という本を出されておりまして、私も読ませていただきました。その中に、こういうところがあります。
「我が国が自衛戦争と自衛軍の保持まで自ら気にしたのだという意味に、9条を読まなければならぬ理由はない。
つまり私たち日本が間違っても、国際社会における加害者にならないことを決意したのは正しいが、だからといって、それによって、私たちがもはや被害者にもなり得ないと思い込んだり、毎日被害を受けても、無抵抗でいるなどと決意したならば、それはしばしば皮肉を込めて呼ばれている理想主義などではなく、もはやおろかな空想主義または卑怯な敗北主義と呼ばれるべきものであろう。
また、冷静に世界史の現実を見つめる限り、世界平和も各国の安全もすべて諸国の軍事的バランスの上に成り立っていることは明らかである。
従って、我が国は今後、たかが道具に過ぎない日本国憲法の中に読み取れる空想主義を盾に、無責任を決め込んでいく限り、早晩、我が国は国際社会の仲間はずれにされてしまうに違いない」と。
私、これを読みまして、同姓同一の人物かもしれないと思いましたけども、やっぱり同じ小林節教授でございました。

今、色々発言していらっしゃる小林先生と、かつての小林先生、どちらの説を取ったらよろしいのでしょうか。

最後に笹田教授ですが、
彼も従来の定義を踏み越えてしまったことを理由に違憲としているようですから、長谷部教授と同様、憲法違反の説明にはなっていないと思います。これは私なりの感想です。

2番目の集団的自衛権の合憲性について少し述べていきます。
そこであらためて、最初に述べた結論について、補足を加えながら、集団的自衛権の合憲性について説明させていただきます。

まず、集団的自衛権とは何かという問題でありますが、この集団的自衛権、これは自国と密接な関係になる国に対して、武力攻撃がなされた時は、それが直接自国に向けられていなくても、自国の平和と安全を害するものとみなして、対抗措置を取る権利といえます。
そのポイントは、他国への攻撃を自国に対しての攻撃にみなして対処するというところにあります。
例えば、NATO=北大西洋条約には、欧州または北米における締約国に対する武力攻撃を全ての締約国に対する攻撃と見なし、集団的自衛権を行使するとあります。全米相互援助条約なども同じであります。

次に、集団的自衛権と個別的自衛権は、不即不離、不可分一体の権利であると考えられます。
このことは、刑法の正当防衛、36条と比較したらよく分かります。もちろん、全く同じではありませんが、国内法上、個人に認められた正当防衛権に相当するのが、国際社会における自衛権と考えると、よく理解できるのではないでしょうか。

刑法36条は次のように規定しています。「急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした場合は罰しない」と。
つまり、正当防衛とは、急迫不正の侵害が発生した場合、自分だけでなく一緒にいた他人の権利を防衛できるというものです。

例えば、一緒に歩いていた友人が、突然暴漢に襲われた場合には、自分に対する攻撃でなくても、反撃して友人を助けることができるのが正当防衛であります。
であれば、国際法上の自衛権についても、個別的自衛権と集団的自衛権を不即不離のものと考えるのが自然ではないでしょうか。

例えば、公海上において、行動を共にしていた米国の艦船に対して、万が一ミサイル攻撃があれば、自衛隊が米艦を支援できるのは当然ということになります。
また、集団的自衛権の行使を文字通り、自国に対する攻撃とみなせるような場合に限定すれば、アメリカに追従して地球の裏側まで行くということはなくなります。
それ故、集団的自衛権の行使の範囲を放置し、日本の存立を危うくするような場合に限定すれば、必要最小限度の自衛権の行使も可能としてきた従来の政府答弁との整合性も保たれると思います。

次に、集団的自衛権は、国連憲章51条によって、全ての国連加盟国に認められた国際法上の権利です。
それゆえ、たとえ憲法に明記されていなくても、我が国は国際法上、集団的自衛権を有し、行使出来るのは当然です。
つまり、集団的自衛権の問題は、憲法だけ見ても分かりません。国際法を基準にして、初めてその意味が分かりますし、それが国際標準だと思います。

わかりやすい例をあげますと、領土権あるいは領土管轄権の問題ですね。
これは国際法によって認められた主権国家が持つ固有の権利でありますから、憲法に規定がなくても領土権というのは、当然認められます。

例えば、我が国の領土である尖閣諸島海域で領海侵犯を行う船があれば、当然領海外への退去を求めることができます。

この点、憲法に明文規定がないから、我が国に領土権は認められない。
従って、外国船を排除することもできないという人は、果たしていらっしゃるでしょうか。
集団的自衛権は、全ての国家に国際法上認められた権利です。
もしその権利を、憲法自身が禁止したり、制約している時は、それに従わなくちゃいけない。
その点、憲法9条には、集団的自衛権の行使を禁止したり、直接制約したりする明文の規定は存在しません。

それで我が国が、国際法上、集団的自衛権を行使することは明らかです。
ちなみに、大石眞京都大学教授も「私は憲法に明確に禁止規定がないにも関わらず、集団的自衛権を当然に否認する議論には汲みしない」として、集団的自衛権の行使を容認しておられます。

さらに、テレビ朝日「報道ステーション」の調査によりますと、九州大学の井上准教授とか、大阪大学の片桐准教授が同じような理由、あるいは、若干別の理由もあったようですけど、集団的自衛権の行使を合憲としておられます。

最高裁も、昭和34年の砂川事件判決で次のように述べています。
「憲法9条は、我が国が主権国家として持つ、固有の自衛権を否定していないこと。そして我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を真っ当するために必要な措置を取り入れることは当然である」と。
この判決についてのやや詳しい説明は後でしますが、憲法解釈について、最終的な判断権を有する最高裁が、集団的自衛権を射程に入れた判決の中で、このように述べているのですから、憲法違反の問題はクリアできていると考えるべきでしょう。

それゆえ、我が国が集団的自衛権を行使できることは、国際法及び憲法に照らして明らかで、最高裁もこれを認めていますから、集団的自衛権の行使を認めた政府の新見解は何ら問題ありません。

とは言うものの、憲法第9条2項は、「戦力の不保持と交戦権の否認」を定めていますから、その限りで、集団的自衛権の行使が制限されることはあり得ます。
そのため、政府の新見解も集団的自衛権の行使を限定的に容認することになりました。
従って政府の新見解は、憲法9条の枠内の変更であって、全く問題はないし、憲法に違反しないと考えます。

3番目の政府見解の変更についてでございますが、憲法あるいは法律は、ある意味では妥協の産物であり、様々な意見を集約して成立したものですから、様々な解釈が成り立ちます。
だから学説では通説とか多数説とか少数説といった言い方がなされるわけです。
それゆえ、条文の枠内で色んな説が成り立ちますから、その説の間で、A説からB説に移るということは当然あり得るわけです。

ということは、つまり憲法解釈におきましても、私に言わせれば、政府見解が同じ9条の枠内で変わることはあり得ると思います。
例えば、9条と戦力の不保持との関係ですが、実は憲法の制定当時は、いかなる武力の保有も許されないとしておりました。
金森国務大臣は、昭和21年9月13日、帝国議会におきまして、戦力とは戦争目的のための一切の人的及び物的力とまで述べています。一切の武力を認めないというものでした。
それが現在の新政府見解は、自衛のために必要最小限度の技術力は保持できるものに変わってきております。

また、憲法66条以降の文民につきましても、政府見解は変更されております。
かつての政府見解は自衛官は文民というものでありました。昭和36年の見解ですが、現在の政府見解は、自衛官は文民には当たらないというものであります。
首相の靖国参拝につきましても政府見解を変更してきました。
昭和55年の政府統一見解は、首相の靖国神社参拝は憲法上問題があり、参拝が違憲でないかとの疑いを否定できないと述べておりました。
これを変更したのが、中曽根内閣でありまして、内閣の下に設置されました靖国懇。閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会が、公式参拝を合憲とする報告書を提出いたしまして、これを受けて、昭和60年、首相の靖国神社参拝を合憲とする政府見解が発表され、変更されたわけです。

もう1つの例をあげますと、皇位は世襲のものでありと書いてあります。この世襲の意味につきまして、実は政府は憲法制定以来、これは男系を意味すると。少なくとも男系重視ということで、男系と説明してきました。

ところが平成13年、当時の福田康夫官房長官が、男系でも女系でもいいと、説明なんてほとんどありませんでした。
大きな変更を加えてしまったわけですが、マスメディアは、それについて言及しておりませんし、私もあとで知ったような次第ですね。
幸い、これについては、後に安倍晋三官房長官によって、男系という風に戻されましたけども、これも大変な変更がいとも簡単になされてきたであります。

今回も安保法制懇が、集団的自衛権の行使を合憲とする報告書を提出しました。
その報告を受けて政府見解を変更したものですから、以上述べたように、憲法9条の枠内の変更であって、何ら問題はありません。

政府見解の変更は立憲主義の否定などといった意見もありますが、私は誤りであると思います。
立憲主義とは簡単に言えば、憲法を制定し、権力の行使を制限するとともに、人権を保証するものといった抽象的な原理に留まります。

なぜ、憲法の枠内での正当な手続きを踏んだ政府見解の変更が立憲主義の否定になるのでしょうか?
また、政府見解の基本的枠組みを変更するような解釈の変更は、法的安定性を欠くとする見解についてですが、もちろん法的安定性の確保というのは大切なことであり、可能な限り基本的枠組みの変更はするべきではありません。

しかしながら、国際状況の急激な変化、中国や北朝鮮の軍事的脅威が飛躍的に拡大する一方、アメリカは内向き飛行を進めているわけであります。
これを前に、日米同盟をより強固なものとし、我が国の抑止力を高め、防衛体制を強化するために、政府見解の変更はやむを得ません。

しかも、その政府見解の変更は、従来の極めて不自然な見解。
つまり、集団的自衛権を保持できるが、行使できないといった極めて不自然な見解を改め、国際標準に近づけるものですから、むしろ理にかなっているという風に思います。

4番目の砂川事件最高裁判決でございますが、衆議院の憲法審査会におきまして、3人の参考人全員が集団的自衛権の行使を違憲と述べたものですから、政府もこれを従うべきなどといった意見が出ております。

しかしながら、学者の解釈はあくまで、私的解釈でありまして、政府や国会を法的に拘束しません。
国家機関を法的に拘束するのは、政府見解。国会決議、さらに最高裁判例などの有権解釈でありまして、決定的な意味を持つのが最高裁判例です。

なぜなら、憲法について最終的な解釈をするのは、最高裁判所だからです。
最高裁が、憲法第9条について、正面から判断を下したのは、砂川事件判決だけであります。
当判決は自衛権について以下のように述べております。

「平和条約は日本が主権国として、集団的安全保障の取り決めを締結する権利を有することを承認し、さらに国際で貢献し、全ての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認していると。
これらの権利の行使として、つまり個別的集団的自衛権の行使として、日本国はその防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため、日本国内及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」と書いてあるんです。

つまり、日本国は個別的集団的自衛権を有し、つまり集団的自衛権も含めて、これらの権利を行使して、日本国はアメリカ軍の駐留を求めると。明確に謳っているわけであります。
条約締結権を持つのは内閣でありますから、当時の内閣がこれを認め、さらに国会も承認したわけであります。

問題とされたのは、旧安保条約の合憲性ですから、これを審査する時に、集団的自衛権は除外したなんてことはあり得ないわけです。
最高裁は我が国について、主権国が主権国家として、自衛権を有し、必要な措置を取ることは当然としたわけでありますが、判決は自衛権としか述べておりません。
集団的自衛権には言及していないという説がありますけれども。

しかし、同事件で問題とされたのは、集団的自衛権の行使として締結された旧安保条約の合憲性でありました。
従って、集団的自衛権という言葉を使っていないからというのは、理屈になりません。
もしそれを言うんだったら、個別的自衛権という言葉も使っておりませんから、個別的自衛権も言及していないとなります。

そうなると、この自衛権とは一体なんでしょうか?
つまり両者を含んだのは、ここでいう自衛権のはずであります。
この点、報道によりますと、先日の国会で横畠内閣法制局長官は、「新3要件のもとで限定された集団的自衛権の行使は判決の言う自衛権には含まれると解することが可能だ」と答弁しているようでありまして、私の解釈と一致します。
この点、民主党の枝野幹事長が、「個別的自衛権に触れていない」とおっしゃっているのは、私は誤りであると思っています。

最後に今後の課題でありますが、現在の政治的混乱を速やかに解消し、法案の成立に向けた環境整備が必要であります。
そのためには、まず政府が国民に対して、もっと積極的に説明し、説明責任を果たす必要があると思います。

つまりなぜ今、集団的自衛権の行使を容認し、急いで安保法制を整備する必要があるのかはっかりと説明し、説明責任を果たす必要があります。
理由の1つは、我が国を巡る国際状況は急激に変化し、軍事的脅威が増大していること。そのことをもっと具体的かつ明瞭に説明する必要があると思います。

つまり現在、中国の軍事的脅威が高まっていること。
例えば、中国が南シナ海に進出し、次々と岩礁を埋め立てて、軍事基地を建設していること。
これを放置すれば、次は東シナ海であり、尖閣諸島、さらに沖縄が危ないということ。
また北朝鮮の核ミサイル疑惑もありますし、その発射の恐れもあるといったことですね。

これは国民も気づいているわけでありますけども、それをきちんと説明したうえで、「だから今急ぐ必要があるんだ」ということを、私は言う必要があると思っています。
他方、アメリカのオバマ政権は益々内向き志向を強めておりまして、昨年秋にアメリカは、もはや世界の警察官ではないと宣言いたしました。
最近少し、リバランス政策をとっておりますけども、しかし、いざという時にアメリカが駆けつけてくれるのか。非常に不安があるわけであります。

従いまして、こういうことを考えますと、アメリカの戦争に巻き込まれるなどという人がありますけど、そうではなく、むしろアメリカが我が国から少し離れてきてしまっている。
このアメリカと本来の日米同盟を緊密な関係にすることによって、アメリカを日本の防衛体制の中にきちんと巻き込むと。
巻き込むために、今こそ、そういうことが必要だと。

憲法では軍隊が持てず、限られた防衛力しか持てない。
我が国の防衛隊そのものが、自衛権と日米安保条約に基いて成り立っているわけですから。その肝心の日米安保条約が十分機能するかどうか分からない。
これまで安保条約は、片務的でありまして、アメリカは日本を助けに来るけれども、日本はアメリカのために何も出来ないというような状況でした。
せめて、現在の憲法の枠内で出来ることをするから、だからもう1度、この同盟を緊密なものにしようと。
そのための第一歩として、憲法の枠内で、そういう関係を構築しようと言うのが問題だと私は思っております。
その辺のことをきちんと説明すれば、多くの国民は納得してくれるだろうと、私は思っております。

また、これまでの経過を振り返りますと、政府の説明は細かすぎてよく分からないところがあります。
政府は法案の全体像がよく分かるように、しっかり説明する必要があります。
政府解釈の変更についての説明文にしましても、極めて分かりにくいものでした。
それゆえ、従来の政府見解との整合性を説明するだけでなく、国際法及び憲法、さらに最高裁判決を踏まえて、大局的な説明が必要と思われます。

「木を見て森を見ず」という言葉があります。政府の説明を聞いておりますと、失礼な言い方かもしれませんが、もっぱら木の説明ばかりしている。そこに気を取られて、肝心の森の姿が、全体図が分からない。そのために、国民も非常にもどかしい思いをしているんじゃないかと。
だから、今後の国際状況、さらにこの安保法制の構造。あるいは、集団的自衛権についても、国際法、憲法、さらにこの判決に基いて、可能であると。
だから、今回、その一部を限定的に承認したんだという説明をしていければ、私は必ず理解してくれる人がたくさん出てくるだろうと思っております。

他方、野党の質問も重箱の隅をつつくような質問や揚げ足取り的な批判が多くて、あれでは国民の指示は得られないと思います。
自衛官のリスクを非常に心配してくれる。共産党まで心配してくれるようですけど、そんなに心配だったら、もう少し自衛隊法制の整備に協力していただきたいし、軍隊になれば、自らの安全を守ることができますから。という皮肉を言いたくなりますけれども、それは冗談としまして、もっと建設的な対案や批判ですね。これをすべきではないでしょうか。

そういう形で始めて、国民にも分かるような建設的な積極的な安保法制を巡る議論が、これから進められて行くのではないかと思っておりますし、それを期待しているところであります。
みなさんには、社会の木鐸と呼ばれるにふさわしい見識のある公平な報道をお願いいたしまして、私の意見表明とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。



−(司会)西先生から2〜3分補足説明をしたいということで、お願いをしてから、質疑に入りたいと思います。

西:旧日米安保条約については、集団的自衛権に基いて駐留を認めるんだという話がありましたけども、砂川事件判決でよく利用されるのは、前半部分で「無防備・無抵抗」だとか「国家雇用の権利」ですけども。
最高裁大法廷判決のこの部分と、田中長官のこの部分は完全なる個別自衛権だけなのか。ということをぜひご理解いただきたいと思います。読み上げます。

「わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基づき…」

なんかある政治家を見てたら、個別とか集団的の「しゅ」の字も出てません。本当にお読みなったのか。続けます。

「…に基づき、その防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を配備する権利を許容すると、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。
それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。」

集団的自衛権、当然、こういうことが認識されている、意識されている。
そういう流れで書くと、この判決があったということを全国で認識していただきたいと思います。
田中耕太郎長官について、ちょっと1つだけ。

「今日はもはや厳格な意味で自衛の観念は存在せず、自衛は他衛、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。
従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。
自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であつて、真の平和主義に忠実なものとはいえない」

これが田中耕太郎長官の補足意見であります。
実はこの他にもう2人、意見があります。
ご存知のように、日米安保条約は結局、党首合意ということだったんですが、2人のご意見は「日米安保条約そのものは合憲である」という判決も出されております。
ぜひ、みなさんに、この砂川事件を本当に読んでいただいて、集団的自衛権の「しゅ」の字もないんだ。そういうようなご意見に与さないで、ご自分でご判断をいただきたい。以上であります。



質疑応答
http://blogos.com/article/118168/

−政府が積極的な説明責任を、急いでこの安保法制を成立させる必要があるんだということを、具体的にはっきりと説明する責任があるという点をご指摘いただいているんですけれども、今の私共のTVの報道番組、あるいは新聞等の多くのマスコミの世論調査によりますと「国会の審議を聞いていて、国民は拙速にこの安保法制を決めるべきではない。もっと慎重に審議するべきではないか」というのが、80%程度の意見で、様々なメディアの調査結果が出ているわけであります。

一方で、学生に教えている憲法学者、あるいは研究者のアンケートや世論調査を取ったところ、先ほど先生が触れました報道番組においては、149人の憲法学者のうち、「合憲だ」とはっきり答えられた方は3人。あとの多くの方が、今の政府の憲法解釈変更についての安保法制は違憲である。もしくは違憲の疑いが強いと言う答えが圧倒的に多いんです。

なぜ、先生方お2人の合憲論が社会的に広がらないのか。それは、政府の答弁説明が不十分のなのか。何か理解出来ていない、あるいは説明しなければいけない。この点のポイントが欠けているという風に判断されるのか。これについて、お2人の答えをいただきたいと思います。

百地:そういった世論調査の結果は、私も見て知っております。慎重に行くべきであるとか、拙速は避けるべきだという声はあります。その責任は、政府にもあると思っております。
つまり国民はその中身が分かっているとは私は思いません。むしろ分からない。分からないから不安もあると。政府がきちんと「なぜ急ぐべきか」と言うべきでしょう。

そこで、とりあえず私の考えるポイントを述べたわけです。
国際状況の過激な変化と日米関係を緊密なものにするためには、急いでやることがある。
私は本来、憲法改正をきちんとした上でやるべきだと思いますけれども、実際それは手続き的にも困難であります。簡単にできない。
であれば、まず出来るところからやろうというのが私の考え方であります。

この点、政府がきちんと説明していないから、なぜ急ぐか分からない。分からないうえに、法案の内容が意味分からないから不安になると。なんとなく必要性を感じているという結果も出ているんですよ。従いまして、その辺が問題だろうと思っております。

それから、「ジュリスト」という雑誌に、「憲法判例100選」というのがありまして、6版を下にやったんですけど、憲法学者200名のうち150名ぐらい答えたんですね。4名が一応合憲ということですが、実は答えていない人が50名いるんですよね。

また東大、京大関係はほとんど答えておりません。
私、今回色々な人に当たったんですけど、「合憲だと思うんだけれど、立場上、言わないで欲しい」という方が何人かいました。そういう雰囲気が一方であるということなんですね。

それから、なぜそれが広がらないかということですが、学会で広がらないというのと、社会的に支持されないかというのは、私は別問題だと思っております。
私に言わせれば、学会は残念ながら、かなり閉塞的なところがあります。私は「憲法の常識 常識の憲法」という本を、文春新書から出したんですけども、その冒頭に紹介させていただいたのが、芦部信喜先生の言葉でした。

読売新聞の憲法特集で「大学では、自衛隊は違憲と教えても、社会に出たら合憲と。虚しい思いをする」ということを書いてるわけですね。これが現在の憲法学会であり、社会であろうと思います。
憲法学会では、残念ながらまだまだ少ない。50名、100名という人達は賛成していると思いますけれども、表明してくれる人は少ない。
しかし、社会的な支持は決して少なくない。むしろ多いだろうと私は思っております。

西:せっかく学説のことを言われましたんで、学説の方から、私なりの考えを申したいと思います。
私は学説というのは、人数の少ない多いではないと思っております。さきほどもいいましたように、私はPKOにしても、色んなものにしても、自分の説を主張して参りました。しかし、それが私は絶対に過ちだという風に思っておりません。
むしろ、さきほど説明しましたように、一体66条2項がなぜ入ったのか。そういうことをきちんとした、9条の原点といいますか。9条と66条の不可分性という私の説に対して、否定的なものは見たことがありません。

ですから、私は自分の説が「正しい」「少ない」それと私の説とは無関係。
私は先ほどいいました、憲法の成立過程を一生懸命調べました。世界の憲法も一生懸命調べました。そして、自分の説を主張してきているわけであります。
さきほど言いましたように、PKOも多くの人達も、学会も反対でした。私はその時、民社党から推薦で出ました。民社党だけが、国会の承認が必要だと言っていたんです。
私はある新聞で、「PKOに賛成だけど、承認がないじゃないかと」と言って、民社党がそれを主張し、結局承認が入りました。

そういうようなことで、まず学説というのは、数の多い少ないではない。やっぱり、自分の本当に正しいという信念を伝える。これがそうであって、じゃあ100何人全部同じか。
実は、百地先生と、合憲論のアプローチが違うんです。色んな立場があっていいと思うんです。ただ人数が多いから、それが全て正しいのかと。少なくとも、学説はそういうことは関係ないと、私は思っております。

それから、世論の色々な動向ですけれども、元々、今の防衛法制そのものがかなり複雑ですよ。自衛隊法があり、周辺事態安全確保法があり、武力攻撃事態法があり、国民保護法があり、色々あるわけですよ。そしてさらに今度、新しい法律の改正が、かなりある。

だから、そういう細かいことに、あまりにも入りすぎているんですよね。
一体本質はなんなのか。そういうことをもっと説明すれば、そういうことなのかと。
新3要件によって、わが国の存立の危機に関わる。そして、国民の生命自由、幸福追求の権利が根底から覆される。
それでもいいのですか?そういう場合に、やっぱり、わが国だけではどうしようもないでしょと。

さっきの田中耕太郎長官で言えば、国家的利己主義じゃダメじゃないですかと。やっぱりみんなで国際社会の平和秩序というものを守っていこうじゃないですか。
細かい点は色々あります。しかし、本質は何なのか。先ほど百地先生は「木を見て森を見ない」とおっしゃいましたけれども、やはり本質というものをもっと考えていかないといけないし、また、我々もマスコミのみなさんも、そういうことに努力する必要があるのではないか。どこに本質があるのか。そこのところを、きちんと考えていく必要があるんじゃないかと思います。

−先生方が、現行憲法が集団的自衛権を禁止しているものではない。行使できると解されていることは理解いたしました。
そこでですね、今回の安保法制と言われている、特に3要件ですね。
先生方はいずれも、憲法9条があるので、百地先生も「一定の制限はあり得るだろう」とおっしゃっている。西先生も歯止めとか、新3要件は、限定的な集団的自衛権の行使だから容認できるんだという風におっしゃっている。

今回の新3要件は、特に存立危機事態というものについて、今のところ政府は、具体的にどういうケースであれば、それが存立危機じゃないのかという質問に対して答えていません。
なので、事実上、自分たちが総合的に判断するんだと。「何が存立危機なのか」という3要件に当たるものをですね。それでも、これは憲法違反にならないのか。つまり一般論として、集団的自衛権が行使できるということは分かったんですが、今回は政府に武力行使の決定権限を与えるものになってはいないか。
だとしたらば、それでも合憲とお考えになるのかどうか。なるとすれば、その根拠をお話いただければ幸いです。

西:それについてよく、問題とされるのがホルムズ海峡などでありますが。安部総理もそういうことをおっしゃっていたんじゃないでしょうか。
存立については、こういう事態だと言ってしまうと、それ以外は全部大丈夫なんだというので、わが国の安全上、かえって支障をきたすんだという風におっしゃっておられました。

やはり、国の安全、国民の生命の暮らしといいますか、さきほど挙げた3要件。それに合致するようなことが存立危機事態ですか。
逆に言うならば、なぜ存立危機事態にわが国は何もしないでいいんでしょうか。私は逆にそういう疑問を持つんですよね。
ホルムズ海峡は色々あるかもしれないけど、石油が途絶えてしまった。枯渇した。どうしましょうか。機雷が巻かれている状況であっても、我々の生命線から国の存立危機というようなことに関連して、色んなことが考えられる。

だから、「これはダメだ」と言っても、色々なことが考えられるわけですから、そのためにまた、いち政府の解釈でなんでも出来るということではなくて。
むしろ私が、ここで特に強調したいのは、もちろん政府がそういう場合の要領とか出しますよね。それをみんなで検討して、国会が審議をし、OKかどうかと。事前承認とかが言われているわけでありますけど。その場で、本当にこれがわが国の存立危機に当たるかどうかというのは、やっぱり一概には言えないんじゃないか。
存立危機事態を憲法違反であるということは、私は断定できないという考え方ですけれども。

百地:基本的には、今回10本の改正案と新しい法律が出来ましたけれども、このうちの10本は部分改正でありまして。
つまり集団的自衛権を限定的に容認したというのが前提となって、それに関連する部分を部分的に修正しただけですから、たくさんあるようであっても、実は内容的にはそんなにないだろうと私は理解しております。

一方、1本の法律は、国際貢献を恒久法とすると。これまでは、例えば派遣するたびに法律を作らなくちゃいけなかった。これでは国際貢献ができないから、恒久法にしようというところでありまして、多岐にわたっておりますけれども、構造は非常に簡潔だと思っております。
しかも、今お話が出ました、存立危機事態の問題とか色々ありますけど、基本的には憲法の枠内のものであると、私は承知しております。従って憲法判断の問題はそこで一応クリア出来ていると。
あとは、政策判断の問題になってくるし。
その辺になると、今、お話があったような国会の承認の問題とかいう形で、シビリアン・コントロールをきちんと確保していくことが必要である。

具体的例としては、私も新聞等で報道されたものを見て知っているようなものですけれども、例えば、こんなものがありました。
米軍が北朝鮮からミサイルが発射されて攻撃してくると。米軍に対する攻撃があるということで、アメリカのイージス艦が日本海に展開して、そちらの方にイージス艦を向けると、イージス艦というのは上空が手薄になるらしいんですよね。そこで上空の警戒をして欲しいということで、これも1つの集団的自衛権の行使として挙げられています。

実は有事じゃありませんけれど、過去、自衛隊にそういうことがあったんです。
防衛庁の関係者から聞いたんですけれども、北朝鮮がテポドンを発射するということで、アメリカのイージス艦が日本海に行ったことがあるんですね。それで、警戒に当たったわけです。

ところが、さっき言いましたように、上空が手薄になる。一方に照準を向けますので。ロシアの偵察機が次々と飛来してくるんです。そこで、日本の航空自衛隊に対して、「上空の警戒をして欲しい」という依頼があったんですが、ご存知のように自衛隊は軍隊ではない。実態は軍隊でありますけども、法律的には軍隊ではない。
つまりネガティブリストじゃなくて、ポジティブリスト。軍隊というのは国際法で禁止されたこと以外は、主権と独立を守るためには自由に行動していいというのが大原則というのが大原則であります。

警察は逆に、法制度に書いてあることしかできない。憲法9条2項が「一切の戦力を持たない」と書いてありますから。従って、戦力ではないと言わざるを得ない。実態は軍隊であるけれども法制度的には軍隊ではない。つまり警察組織の一環と言わざるを得ない。
自衛隊は、法律に書いてあることしかできませんので、その時も一生懸命、法律を調べるわけです。

あるいは、これが集団的自衛権の行使になるかもしれないということで、結局、躊躇しているんですね。
アメリカは、日本がもたもたしているもので、「だったら自分でやるから」ということで、警戒に当たったようですけれども、平時においても、そういうことが起こっておりますから、有事においては当然起こるだろうと。例えば、そういったものがあると思います。

もう1つは、先ほどおっしゃったように、ネガティブリストではなく、ポジティブリストですから。
まず、基本原則は、法律に書いたことしか出来ないということを外国も知っているわけですね。その上で、そこに政策判断の部分まで「これとこれはいい。これはダメだ」なんてやったら、全部あからさまですよ。従って、不透明さはやむを得ない部分がある。
もちろん、シビリアン・コントロールで、きちんと確保していかないといけませんけれども、むしろ本当に防衛を考えたら、そういう部分が出てくるのはやむを得ない。今の法制度がそうなっているところがあると、私は考えています。

−徴兵制について伺いたいんですけれども。政府は憲法解釈によって徴兵制は認められないとしておりますけれども、この点に関する両先生のご見解をお聞かせいただければと思います。
解釈の変更によって認められることはあり得るのかどうか。お考えを聞かせていただければと思います。

西:憲法18条、その意に反する苦役。これに徴兵制があたるかどうか。これについて、私は、憲法解釈上は当たらない。そういうことを1981年の古い古い本ですよ。「正論」という雑誌に寄稿しました。

まず言えることは、今の18条「その意に反する苦役」。これはアメリカの憲法から来てるんですよ。アメリカの憲法には「意に反する苦役」というのが、憲法の条文にあるんですよ。今の日本の憲法はアメリカ憲法の条項をかなり入れてますからね。これもそうなんです。
そこでアメリカは、第一次世界大戦で、選択徴兵制になりました。それが憲法違反かどうか問われました。1920年そこそこですよ。
その時に、連邦最高裁判所で、はっきり「徴兵制は憲法違反ではない」と言っております。

プラス、世界の憲法を、その時に全部調べました。
「その意に反する苦役」は、強制労働もそれに当たるだろうと言われております。強制労働の禁止は世界にいっぱいあるんですよ。強制労働の禁止をしながら、一方において、徴兵制を認めている。遥かに多いですよ。

また、私は比較憲法的の側面から見て、「これはおかしいですよ」と言ったことはあります。
これはむしろ逆に指摘していただいて光栄なんで、ぜひ私の論文を見ていただきたい。
今どき、徴兵制は不要です。必要ないです。これもある自衛官に聞きました。鉄砲担いで徴兵制、そんな時代ではない。今まさにITの時代である。
世界をみてご覧なさい。イタリアでは、徴兵制規定してるんですよ。だけでやっておりません。ドイツも徴兵制を規定しているんですよ。でも、実際はやっておりません。やっているのはスイス。ここはやっておりますよ。
そういうことからして、私は徴兵制というものは不要であるということを申し上げたいと思います。

ただ、政府は政府で解釈してらっしゃるので、どうぞと。
しかし、私は今言ったような理由から、「その意に反する苦役」だろうと「強制労働」だろうと、徴兵とは別個のものである。
国を守るということと、意に反する苦役というのは別個であるということを、色々な憲法を調べて結論を出しました。それが私の学説であります。よろしいでしょうか?

百地:この点、私も何を持って憲法違反とするかということですが、「苦役から自由」を使っているのは政府ですけれども、これについては自衛官の武田空幕長でしたか、辞められる時に、意義を申し立てたことがありました。

もし、軍事的役務に就くということが苦役に当たるとするならば、自衛官は自らの意思に基いて苦役に就いているのかと。
国の防衛という神聖な仕事をしているにも関わらず、これが苦役というのは、私どもとしては耐えられないという趣旨の発言をしたと思うんですね。

西先生がお話されましたけども、私もその点は、国際人権規約におきましても、軍事的性質の役務は強制労働に当たらないということになっておりますから、「その意に反する苦役」と見ることはどうかと思います。

しかし、9条は戦力を持たないとしておるわけでありますし、その下で徴兵ということはあり得ないと。
だから現在の憲法の下で、徴兵制は憲法違反であり、将来も考えておりません。
また解釈変更というのは、当然、憲法の枠を超えますから、これはあり得ないということです。

それからそもそも、先ほどと重なりますけれど、今日では徴兵制は廃止される傾向にある。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツといった国々は、いずれも廃止。あるいは中止しているわけです。ハイテク化の中で、お金がかかるし、役に立たないという実際もありますから、現実的にはあり得ないという風に私は考えております。

−武力行使の一体化についてもう少し詳しくお話を伺いたいと思います。
現に武力行使を行っている他国軍への後方支援。これは世界的に見ると、武力行使の一環とされるのではないかという意見もあるかと思います。
その中で、百地先生の資料を拝見しますと、「わが国独自の解釈である」とありますように、世界的に見ると、食糧であったり、武器を補給するということは、兵站であり、これ無しに戦争はできないわけであって、武力行使の一環だとみなされる意見もあるかと思います。
全く別次元であるもので、違憲にあたらないという風におっしゃられていますので、その辺をもう少し詳しくお伺いできればと思います。

百地:実は私も、その辺の話は専門ではありませんので、乏しい知見しかないんですけども。
これはまず、集団的自衛権の問題とは別だということですね。武力行使に繋がるのが自衛権ですから、今回の集団的自衛権の限定的容認とは直接関係ない。
だから、一体化の恐れがあるから、集団的自衛権の容認は憲法違反であるという議論は成り立たないということを最初に言いましたよね?
そこで国際貢献の一環として、他国に日本は軍事的な貢献ができないと。
だから、せめて後方でもって応援しようと。そういう指示だと思うんですね。

それについて、兵站と戦闘区域を簡単に切ることが出来ないんじゃないかと色々な議論があります。それも良く分かります。
しかし、わが国としては、憲法の拘束がありますから。何も出来ない訳にはいかない。やはり世界の色んな意味での大国として、責任を果たさないといけない。
湾岸戦争の時に、金だけ出しても結局感謝されなかった。ということで、それなりの貢献が必要があるってことで、やむを得ず法律概念上、戦闘地域と非戦闘地域を分けて。

かつては、ほぼ戦闘地域にならないだろうというところだけしか出さなかったのがですね、今度の法案では、現に戦闘地域でないところには出せると。
少し踏み込んでやっているようですけども、この辺は、憲法論というよりも政策判断の問題ですし、軍事的な知識がないと、必ずしも正しい答えは出来ないと思いますが、そういう構造になっていると。

憲法・法律に照らすならば、ある程度そうやってやらざるを得ないんじゃないかと。
分けなかったら、何も出来ないということになりますから。そういうことじゃないかなと私は考えております。

西:武力行使の一体化については、先日の党首討論で、そろそろ終わりかなと思ったら、志位委員長が、「安保法制懇の西氏が…」と、私の名前を挙げられて驚いたんですけど。
武力行使の一体化に国際法上の概念はないんですよ。それは政府が武力行使の一体化というものを、自ら枠組みづけたということなんですね。憲法上、武力の行使はダメなんです。
だから政府はあえて、武力の行使はダメなんだけど、武力行使に至らないけども、その手間のものまでやらないほうがいいと。

政策判断とおっしゃいましたけど、例えば、かつては非戦闘地域と戦闘地域と分けましたね。しかし、今は非戦闘地域と言っても、ミサイルがボンと飛んできて、その範囲が戦闘地域であれば、何もできないと。だから、今はその現場ということになりましたよね。

それは、政府として武力行使は憲法に違反しているから、その一歩手前で武力行使の一体化まではやらないようにしましょう。飛び立って行く飛行機に給油しないようにしましょう。整備はしないようにしましょう。武器弾薬はやめましょう。ということを政府が自ら制約を課していったわけですね。

今回の場合は少し変わってきますけども、しかし、結論として、武力行使の一体化という国際法の概念はありません。
だから、武力行使の一体化までやることは必要ですけれども、武力行使にいかない範囲の中での解釈判断、政策判断は私が否定するものではありません。

ただ、国際法には、武力行使の一体化というものはないし、法制懇の結論でも武力行使の一体化というのは、国際法になじまないんじゃないかという報告書を出していることは事実であります。
そしてまた、私もそういう立場から、私の論文でちょっと発言をしたと。以上が私の基本的な考え方です。

−今回の安保法制のような、国が重要な政策判断を行うに際して、学者の役割というのは、なんだと思っていますか?
こういうことを申し上げるのは、さきほどの説明の中でも、学者の解釈はあくまでも指摘解釈であって、政府や国会を法的に拘束しないものだというご説明がありましたし。
先日の憲法審査会で、3人の学者が「違憲」という解釈を述べたあとに、国のほうが当面、憲法審査会を開かないというような発言をしていました。
高村さん(自民党副総裁)さんは、「決めるのは政治家であって、学者は学者じゃないか」みたいな言い方をされていたんですが、国が重要な政策判断を行う際に、学者の役割というのはなんだとお考えですか?

西:学者の役割は、学者の立場として、自分の研究を発表することだと思っております。
今回の件でいえば、私は「政府の解釈が元からおかしいんですよ」と言っております。

だから、学者の一番の大切なことは、学問的な視野から学問的良心に基づいて研究し、それを発表する。それが学者の使命だと思っております。
それをどんな風に考えられるかは、第三者のみなさん方が、それぞれお考えになられることでしょう。
政府と私は一体とは思っておりません。私の考え方をしゃべる。それをどう評価なさるかは、みなさんです。
今日も、集団的自衛権が「合憲」というのは、我々の立場で申し上げました。それをどう考えるかはみなさんの判断で、政治がどうこうというつもりはございません。

百地:法的拘束力の問題でいいますと、学者の説を公務員が拘束するということはあり得ないわけです。
最高裁の判断がこの国の機関を拘束するし、あるいは政府解釈ですとか、国会の決議等が拘束するのは当たり前でありまして、いくら優れた学者の説であっても、それを参考にしたりすることはあり得ますよ。

だけど、法的に拘束されることはない。これは基本でありまして、私だけの独自の見解ではありません。
その上で、西先生がおっしゃったように、学者としては、私の場合、憲法学の立場から、何が真実かを探求し、具体的には色々な条文の解釈について、より妥当だと、より説得力があると思われる、そういう説を自ら考えていく。

そのためには、色々な知見も必要だし、学問的研究が必要であると。
それが結果的に政府を動かせば、ありがたいことだし、かといって政府のために一生懸命仕えている気はありません。

権力に仕えるのは、御用学者でしょうけれども、私の説を使っていただけるなら、大いに使っていただこうっていう気持ちでありまして、別に政府に仕えているつもりはありません。

ちなみに、御用学者でいえば、政府だけじゃなくて、野党にも、マスコミにもいると思いますから、その辺は色々あると思いますね。


−(小林節 慶応大学名誉教授)大変勉強になりました。ありがとうございました。
1点だけ、(百地先生が)私の24年前の古い文献を引用されたんですけれども。
私は真剣に日々、勉強して考えて論争に参加していて、立場が変わったんです。24年前の私の文献と、今の文献を、おもしろおかしく並べられたのは、ちょっと納得いきません。それだけです。あとはこれまで通り、楽しく議論させていただきたいと思います。今日はありがとうございました。

百地:一言いいですか。そう言われたら、確かに古い文献かもしれませんが、でもそういうことがあると、また将来、私はなぜ説を変えたのかという本が書かれたらいけないんじゃないかなと。失礼かもしれませんが、私は思います。

西:(小林節)先生は、進歩して、説を変えたんだと。さらにまた、今の説を進歩して、また変えていただきたいと。我々のほうに近づく説をぜひ取っていただきたい。それが先生に望む進歩であります。

小林:私、死ぬまで進歩し続けたいと思いますので、変わること自体をからかわれることは心外でございます。
だから、「今度、また変えられたら困る」と言われても、変えたくなったら変えます。
ちゃんと毎回理由をつけておりますから。西先生とご一緒できる日が、また来たら、それはそれで楽しいと思います。

西:私は知見が小さいものだから、ディベートはあまり好きじゃないんですけど、学問的な討論になれば、いつでもやりますんで。

−お二方に1問ずつ質問よろしいでしょうか?
西先生には、砂川判決の法理のところで、今日は非常に長い文章を引用していただいて。
確かにこの中に、「集団的自衛」という言葉があることも確認いたしましたが、流れをずっと読んでみますと、あくまでも日米安保条約を合憲というための、1つの通り道としましての、集団的自衛権の容認であって。

もうちょっとはっきり言うと、アメリカが日本に対して、集団的自衛権を持って、安全保障条約で、日本の安全保障を担っているという趣旨の流れの中での、集団的自衛への言及でありまして、集団的自衛一般についても、日本の集団的自衛権についても、意図していないくだりとしか思えないんですね。

これを、「集団的自衛を射程において」という言い方をするとね。
「射程」というのは、あくまでもその時点では、ある程度の形があってね、将来的にそれを容認させるための意図と企みがあったような表現だと思うんですね。

それに対して高村さんがおっしゃっているのは、「この砂川判決は、集団的自衛権について触れてないけど、排除してない」と。
確かに、触れていないけど、排除していないのも事実であります。
やっぱりそのレベルでの引用のされかたのほうが、適当だと思うんですが、それについて西先生の話を伺いたいです。

それから百地先生ですね。おっしゃるように安全保障環境の変化によって、日本がやらなきゃいけないことが、結構いっぱい出てきていると思うんです。
その中で、安保法制で「木と森」って話がありましたよね。要するに、小さなリスクばかり議論しているけども、大きな抑止力が高まるものについての議論がないじゃないかと。まさにその通りだと思うんですね。森についての議論も、木についての議論も、なかなかしっかりされていないと。

ただ一番分かりやすいのは、リスクもあるけども、抑止力が高まるという大きなメリットもあるんだという議論をしていただくことだと思いますが、その辺は、いかがでしょうか?

百地:おっしゃる通りでありまして、ただ私が言いましたのは、リスクの事柄が、小さな事柄だという意味ではないんです。
議論があまりにも細かい議論になっていて、全体が見えないから全体が見えるような議論をして欲しいという意味で私は言ったんです。

リスクの問題ももちろん大事です。おっしゃる通り、当然リスクは可能性としては高まるんです。
これを政府が認めなかったのは、私は不自然だと思うんです。
高まるからこそ、それを少しでも減らすように努力しなくちゃいけないし、他方、自衛官はいざという時には、「神妙として」という趣旨の宣言をしてるから、我々はそういう覚悟で臨んでいるという声も聴くわけですね。

それをただ、自衛隊のリスクがどうのこうのということで反対するのは、彼らにとって不本意だということも聞いたことがあります。
従いまして、リスクの問題も考えつつ、しかし、「抑止力としては、どうしても必要なんだ」と言うことを国民に言えば、支持は高まってくるだろうと思います。

西:今のリスク論ですけど、新法を作って、何かを行使するわけですよ。これはリスクが増えるわけです。
問題は、自衛官の生命とか、自衛官の家族もいっぱいいるわけですから、国のためにやっていかなきゃいけないのは当然です。

リスクを高める、増えるけれども、リスクをいかに抑えるかということが、まさに政府が求められ、指揮官にも求められると思います。
今まさに、PKOでずっと行っているわけですよ。PKOの時も、リスクが当然増えているわけですよ。増えているけど、本当にリスクを低くしていった。だから、少なくとも、自衛官には死傷者がいない。そういうところで、リスクをどうやって少なくするかは、これからも当然、努力しなければならないのは当たり前のことです。
ただ自衛官は、その服務に従って、「一生懸命やるんだ」と言っていることも事実であります。

それからもう1つ。砂川事件は、あくまで私はさきほど言ったようなことから、認めているとは言っていません。意識はしているけれども、否定はしていないんだ。というようなことの前提。
さきほど言いました、集団的自衛が全く書いてない。ちゃんと書いてあるじゃないですか。

しかし、集団的自衛権は合憲とは言ってませんが、否定もしていない。
個別的自衛権の中に、集団自衛権、個別的自衛権も入るんだ。
その固有の自衛権の中には、国家の固有の自衛権を持っているんだ。ということですから、否定の根拠にはならない。
だからといって、私は絶対に「合憲」ということは言っておりません。「否定の根拠になりませんよ」ということを、先ほど申し上げたわけです。

−射程というのは?

百地:それは私が使った言葉でですね、正しいかどうかは分かりませんが、少なくとも集団的自衛権を念頭に置いて判断していることは間違いない。
それは旧安保条約そのものが、ちゃんと集団的自衛権の行使として、駐留軍を置いているということでしょ。
それを認めているわけですから。それを議論しているのに、最高裁が集団的自衛権は、全然脳裏になかったというのはあり得ないということです。

その上で、あの判決をどう見るかということで、細かい話になりますが、最高裁は安保条約の合憲性については、直接判断してないんだから。従って、一種の暴論みたいなものだっていう考え方があります。

しかし、あそこで問われたのは、駐留軍の違憲性でした。
その論法として、我が国の指揮・管理権があるかどうかで判断して、指揮・管理権がないから、戦力には当たらないというのが、1つの結論でした。

もう1つが、安保条約がもし違憲であるとするならば、その違憲の条約に基づいて、駐在している米軍は違憲だという議論ですよね。
そこで安保条約の合憲性を問うたわけですが、最高裁は、最終的に、一見極めて高度に政治的な条約については、まず基本的に締結権を持つ内閣ですね、承認権を持つ国会、さらには、主権者である国民が判断しなさいということを示しました。

にも関わらず、例外的に高度に政治的な条約であっても、一見極めて明白に違憲無効の場合は、最高裁が違憲といいますよと述べたわけですね。
その先は、みなさんきちんと言わないと思いますけど、最高裁は一見極めて、違憲とは思わなかったから、違憲とは言っていないというのが第一です。

それから最高裁は反対していないんじゃなくて、最高裁はこれについて国会と内閣、さらには、国民が判断しなさいという判断をしたんだということですから。
最高裁がその一切のそれについて、逃げてしまったかのように言うのは、法理論として正しくない。私は暴論とは言い切れない。むしろ、主論の1つだと思っております。

−1つ確認をしておきたいのが、これは1959年のことですから、いずれにしても、旧安保条約についての判断という形でよろしいでしょうか?
それ以降の新安保条約については、全く別の解釈をするということもあるかもという議論があるかもしれない。

百地:いや、そこは先例があれば、基本的にはそのまま最高裁判決がない時は、それを前提に解釈するのが自然であると。

西:否定されていないわけですから。

−1960年の安保の時に、国論が2分したわけですね。その結果、色んなことが起こったと。今度のことが、またそういうことになっちゃいけないわけですね。
実は私がそのことがあったんで、イギリスに行って、日本の行く方向を考えたんですけど。
いずれにしても、今の憲法の解釈について、専門家とか国会議員がするのと、普通の人達がするのとでは、違ってくるんですね。

18歳未満の選挙権も出てきますから、その時に、非常に分裂した形で、色々な思想が伝わったら困るんですね。
ですから、今一番必要で、共通の底辺があるべきことは、我が国は平和国家である、平和憲法であると。
しかしながら、自衛権があるということを、はっきりと全文か追記か9条の3項ぐらいに入れると。そうしないと、なかなか分裂してくる。

特に、今のような形で論争をやっていった場合、最終的には内閣国会への責任がものすごいんですけどね。これについては、確かに抽象論で判断も確かに難しいんです。
しかし、今の憲法を良いとしている人達、自衛権があるとしている人達は、自然権があるとか、ケロッグ不戦条約とかパリ不戦条約については、不戦と言っているけど、それだけでは国民にわかりにくいから、
それを早く解決するために、そういうものを平行して、早く憲法改正すべきであると、お二人の先生はお考えになりませんか?

西:解釈があまりにも多くなりすぎました。何がなんだか分からなくなりました。もう70年近くなるわけですから。ここでね、誰が読んでも非武装、誰が読んでも自衛戦力を持てるんだ。もうこの辺で、国民投票をやろうじゃないかと。
もう憲法改正のところまで来ているんじゃないでしょうか。

百地:私も、保守的な解決は憲法改正しかないと思っています。賛成です。
私自身は、憲法9条1項の、いわゆる戦争放棄。平和主義の条項は堅持すると。
日本から戦争することがあっては絶対にいけないということですね。
そのうえで、2項。

このままでは、もし外国から攻撃を受けた場合、自衛隊は法的に軍隊ではない。従って対応できない部分がたくさんある。それゆえ、自衛のための軍隊を保持するということを明記することは必要である。これが私は最終的な解決策だと思っております。
ただすぐにはいかないようですので、まず出来るところから国の安全をと考えている次第であります。

posted by 原始人 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | Report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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