2008年02月18日

アメリカという国(1−3)田中良紹(転載)

アメリカという国(1)田中良紹
http://www.the-commons.jp/commons/main/kokkai/2008/02/post_98.html

 初の女性大統領か、それとも黒人大統領の誕生か、ヒラリー対オバマの大統領予備選挙がデッドヒートを繰り広げる一方、サブ・プライム問題に端を発するアメリカ経済の減速が深刻に懸念されている。世界の目は今やアメリカに集中していると言っても良い。

 私はアメリカ問題の専門家ではないが、日米経済摩擦がピークに達した1981年から9・11が起こる2001年まで、取材者として或いはアメリカのケーブルテレビ局C−SPANの配給権を持つ人間としてアメリカ社会に関わってきた。
その経験からメディアが報じるアメリカ像に隔たりを感ずる事がある。同時に日米関係の変遷についても報道に欠落した部分があると思っている。今回はそのことを書いてみたい。

 日米経済摩擦という言葉も懐かしいが、かつては日の出の勢いの日本経済とアメリカとの貿易摩擦が二国間の最大問題だった。その象徴は自動車である。
摩擦がピークに達したのはレーガン政権が誕生した1981年で、日本製自動車をハンマーで叩き壊すデモンストレーションや、バイ・アメリカン(アメリカ製品購入)運動の様子などが連日報道され、自動車産業の中心地デトロイトには反日の火の手が燃え盛り、デトロイトに行くと「日本人は石をぶつけられる」と伝えられていた。
ところが私がデトロイトに行ってみるとどこにも反日の火の手などなかった。

 デトロイトの空港を一歩出るといたるところ日本製自動車が走り回っている。自動車労働者までが燃費の安い日本製自動車を欲しがり、「百年も王座に胡坐をかいてきた」アメリカ自動車会社の経営を批判していた。ハンマーで日本製自動車を壊した男は市民から批判されてその後は沈黙を守っている。
反日の火の手を上げていたのはデトロイトではなく労働組合とそれに支持されたワシントンの政治家達だった。

 最終的には当時の伊東正義外務大臣が訪米して自動車輸出の自主規制案を提示し摩擦は沈静化した。日本の自主規制でアメリカは集中豪雨的な自動車輸出に歯止めをかけ、自動車会社は再生に必要な時間的余裕を得ることが出来た。
一方の日本はアメリカを追い込むことなくしかし一定の利益は確保することが出来た。
こうして日米の危機は回避された。取材を通して日米交渉のありようを知ると同時にメディアによって伝えられるアメリカ発の情報がいかに管理され真実とは程遠いものであるかを思い知った。

 アメリカは農業大国であり、農業輸出国である。そのアメリカが80年代初頭に水田面積を増やしていた。主食でないコメをなぜ増産するのか、コメを生産しているアーカンソー、ルイジアナ、テキサス、カリフォルニアの各州を取材して回った。
理由は二つあった。
一つは第二次世界大戦後の戦争が主にコメを主食としている地域に起きたという戦略上の理由である。つまり朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争でコメはアメリカにとって効果ある支援物資であった。
もう一つは地域統合を進めていたヨーロッパが域内の関税を撤廃して自給自足体制をとり、アメリカからの農産品輸入を減らそうとしていることへの対抗措置であった。

 ヨーロッパで作れない作物は何か。そこでコメに目がつけられた。コメはイタリア南部とスペインでしか作れない。アメリカ産のコメをヨーロッパの食卓に送る作戦が考えられた。その際お手本となったのが戦後の日本人にパンを食べさせた成功例である。日本では学校給食で児童にパンを食べさせ、そこからパン食を普及させてアメリカ産小麦の輸出を拡大させた。普及のため日本人学者や教師を動員してパン食がいかに優れた食品かの宣伝もした。我々の世代は子供の頃「コメを食うと頭がぼける。パンを食べろ」と本当に教師から言われたものだ。アメリカはそれと逆の事をヨーロッパでやろうとした。

 スイスのチューリッヒに出先機関を作り、「子供の健康にはコメを」、「コメは完全栄養食品です」という標語をヨーロッパ中に広めようとしていた。ライス・サラダ、ライス・スパゲティ、ライス・ピザなどの料理も考案された。やっている主体は民間なのだが、その背後にはアメリカ農務省の国家的農業戦略がある。まさに官民一体となった農業振興策、農産品輸出策であった。

 そしてこの取材でアメリカがダブル・スタンダードの国であることも知った。
取材当時のアメリカはパーレビー国王を追放したイランと断交状態にあったが、実はルイジアナ州の港からイラン向けにひそかにコメが輸出されていた。表で断交しながら裏では食糧を輸出している。
どのような目的かは知らないが、アメリカという国は表で主張している事と裏でやっている事とがまるで違う。国益になると考えれば相反する事を同時に平気でやれる国なのである。

 1985年、戦後復興を成し遂げた日本はついに世界一の債権国となり、アメリカは世界一の債務国に転落した。「強いドル」を基本政策としてきたアメリカが国家戦略を転換する必要に迫られた。対日貿易赤字を解消するため「プラザ合意」によって円高ドル安への誘導が図られた。

 このようにアメリカは自国の赤字を常に他国の犠牲によって解消する事が出来る。
今回のサブ・プライムの問題でも原因と責任がアメリカにあるにしても、アメリカだけが落ち込むことには絶対にならない。各国は自分を犠牲にしてでもアメリカ経済を守らなければならない仕組みに組み込まれているのである。

 プラザ合意による急激な円高は日本の輸出産業に打撃を与え、円高不況から脱するために採られた低金利政策によって不動産や株への投機が加速された。バブル経済の始まりである。
プラザ合意を決断したのは中曽根総理と竹下大蔵大臣だが、この二人はその後「民間活力」の名の下に意図的にバブル経済を作り出した。すると地上げなどを通じて闇の勢力が日本経済の中枢に入り込み、それが金融機関からの資金でアメリカの不動産を買いあさるようになり、アメリカは日本人ヤクザの入国を厳しく監視するようになる。

 この頃からアメリカは日本経済をソ連に代わる国家的脅威と捉えるようになった。
私は冷戦崩壊直前の1990年にアメリカの議会中継専門テレビ局C−SPANの独占配給権を得て、アメリカ議会の審議を日本に紹介する事業を始めたが、最初に見たアメリカ議会が「日本経済の挑戦にアメリカは如何に対抗するか」という議論だった。当時の日本はアメリカにとってソ連に匹敵する「仮想敵国」だったのである。議論の中にはソ連封じ込め戦略を作ったのと同様のチームを作って日本に当たれと言う議論もあった。日米関係は世界で最良の二国間関係と言いながら、同時にアメリカは日本をソ連と同等に見ていた。日本という国を様々なジャンルから解明する公聴会が議会で開かれ、その分析は分厚い報告書にまとめられた。

 しかし日本脅威論も長くは続かなかった。
1990年8月、イラクがクエートに侵攻して湾岸危機が勃発すると、各国が議会を開いて対応を協議しているのに対し、日本は10月まで国会を開かず、ひたすら橋本大蔵大臣がアメリカ側に支援の金額を問い合わせていた。そのためアメリカの中から「日本は大国になったと思ったが、所詮はジュニア・パートナーだ」との声が上がった。
先日NHKで、国会で野党などが反対したためお金だけの支援が決まったかのような特集番組が放送されていたがそれは誤りである。国会を開く前に日本政府の方針は決まっていた。またアメリカが日本を馬鹿にした理由は、速やかに国会も開かず、従って何の国民的議論もせずに政府が金だけの支援を決めたところにある。

 ブッシュ大統領に代わって戦後生まれのクリントンが大統領に就任すると、新政権は経済の復興を目標に掲げ、日本経済に「追いつき、追い越す」ことが急務となった。
しかし「系列」という日本独特のタテの仕組みと、「政官財」というヨコのつながりが複雑に絡まりあった構造は、「とても理解できないジャングルのようなもので、どの枝を切れば問題が解決するのかが分からない。問題を解決するよりも、結果だけ出してもらおう」ということになり、日米経済関係に数値目標が設定されることになる。このため日米関係は著しく冷え込むことになった。

 その後もクリントン政権の辛らつな日本批判は続いた。そしてついに日本の三悪は「大蔵省と通産省とそこに人材を送り込む赤門(東京大学)」という結論になる。
アメリカの中には「大蔵省に強い権力を与えたのはGHQの占領政策である。アメリカの政策が日本を悪くした」との意見もあったが、日本の役所をアメリカ政府が公に批判したのはこれが初めてだった。
そして不思議なことはそれから間もなく大蔵省の「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」というスキャンダルが明らかにされ、通産省も組織の内部対立が明らかとなって、それまで戦後日本を復興させたエリート集団としてマスコミは勿論、誰も批判出来なかったこの二つの役所の権威がもろくも崩れていったのである。

 折からバブル経済が闇社会の跳梁を許したことへの反省から、大蔵省は金融機関に対して不動産業者や建設業者などへの貸し出しを一斉に停止するよう通達し、日本のバブル経済は一挙に収束することになる。
当初は一部の業者だけを対象にした措置だと思われていたものが、それだけにとどまらずやがて日本経済全体に波及して、日本は長く失われた不況の時代に突入していく。
このときアメリカの経済学者は「なぜ大蔵省はソフトランディングを図らなかったのか」と首を傾げたが、それ以来日本はアメリカにとって「仮想敵国」でも何でもなくなり、今度は戦後日本人が蓄積した巨額の金を如何に吐き出させるかの対象となっていった。(続く)



アメリカという国(2)田中良紹  2008.02.17
http://www.the-commons.jp/commons/main/kokkai/2008/02/post_99.html

 戦後の冷戦体制が崩壊した理由には色々ある。
衛星放送の電波が国境を越え、厳しい情報統制下にあった東側国民に西側世界を知らしめたことが民主化運動に拍車をかけたことや、ソ連共産党の内部にマフィアが入り込み、一党独裁の社会主義体制に腐敗が蔓延していたことなども要因として挙げられるが、「最終的にゴルバチョフ書記長がソ連邦の幕引きを決断したのは、アメリカが核兵器に代わる精密誘導兵器を完成させ軍事力の優位を万全にしたからだ」とベイカー元国務長官は語っている。

 ベイカー氏によると湾岸戦争に突入する直前、アメリカは密かにソ連のシュワルナゼ外相を呼んで湾岸戦争に使用する予定の精密誘導兵器を見せたと言う。極秘の部分を見せたのは一種の賭けに近い外交手法だったが、この時シュワルナゼは即座にアメリカとの軍事競争は無意味であることを悟り、帰国してゴルバチョフにソ連邦解体を進言したと言う。

 湾岸戦争でソ連は静観の構えをとり、アメリカは精密誘導兵器の威力をテレビの実況中継で全世界に見せつけた。戦争の実況中継を行ったのは老舗の三大ネットワークではなく新興のCNNで、これによってCNNは世界にアメリカ情報を発信する巨大メディアとなった。
CNNが流した映像には意図的にサダム・フセインを悪者に仕立て上げる世論操作情報が含まれていて後に問題となるが、これ以降の世界はアメリカの情報操作の下に置かれる事になった。

 実は湾岸戦争での精密誘導兵器の命中精度は7割程度でしかなかった。しかしその8年後にクリントン大統領が「人権のため」と称して介入したコソボ紛争では命中精度が9割にまで上がったと言われる。
ところが何故かこのときは中国大使館誤爆事件をはじめ誤爆のニュースが多く世界に発信された。
その意図がどこにあったのかは分からない。ただアメリカには命中精度が上がったにも関わらず誤爆の情報を流す必要があったということである。
このようにアメリカは実態とは異なる情報を流すことがある。

 冷戦の崩壊によってアメリカは世界唯一の超大国となった。
議会では連日冷戦後の世界を構築するための議論が精力的に続けられた。アメリカ一国で世界を管理するために何が必要か。議会での議論もさることながら私は首都ワシントンD.C.にシンクタンクが続々と誕生したことに注目した。
当時私はアメリカ議会の近くに事務所を構え現地従業員を置いて東京とワシントンを往復していた。ダレス国際空港と市内までの距離は車で40分程度だが、その途中には雑木林が延々と続いている。それが行くたびに風景が変わっていくのである。雑木林に次々建物が建っていく。そしてそれらは皆シンクタンクなのであった。

 もとよりワシントンは情報の街である。政治家と官僚だけでなくロビイスト、ジャーナリスト、弁護士、研究者、活動家など情報を扱う人々が交錯する街である。毎日いたるところでセミナー、講演会、シンポジウムなどが催され、そこでの情報が世界各地の情報機関、メディア、企業などに売られていく。
そのワシントンが冷戦の崩壊と同時にそれまで以上に情報機能を強化しようとしていた。
世界を支配するために必要なものは何よりも情報力であることをこの国は熟知している。ソフトパワーを最も重視しているのがアメリカなのである。

 議会ではソ連が持つ膨大な数の核兵器と核技術者をいかに拡散させないかという現実的課題から冷戦後の世界を構築していく議論が始まった。
その延長でこれまで目が届かなかった中東や北朝鮮の核開発にも注意が向けられた。
一方でソ連を主要ターゲットとしてきた軍の組織体制の変更、諜報機関の体制一新などの議論は結論が出るまでにほぼ2年をかけた。
CIAは廃止を前提とする議論から始まり、最終的にはバラバラだった複数の諜報機関を統括する中心的な上部機関へと格上げされる事になる。

 なぜならソ連邦の消滅はアメリカにとって平和の到来を意味するものではなく、逆に「脅威の拡散」を意味すると認識されたからである。
東西対立がなくなることで世界の枠組みが緩み、これまで封印されてきた民族主義が各地に台頭、イデオロギーに代わる宗教、文化などの複雑な対立関係が現れると予想された。
それは国家間の戦争とは異なるテロとの戦いを余儀なくさせ、「非対称」の戦争の時代が訪れると結論付けられた。
従って世界的な米軍再編と軍組織の変更、それに伴う諜報機関の強化は当然なのであった。

 精密誘導兵器に見られるようにコンピューターを利用した軍事技術革命は軍の組織を大きく変えた。
従来のピラミッド型の指揮命令系統は不必要になり、指令を発する本国の中枢部分と実戦を行う現地の前線部隊とが直接結びつくネットワーク型の組織体制に変更された。
こうした軍の組織変更は直ちに民間企業にも波及した。
パソコンを使うことで経営中枢が直接現場労働者から意見を吸い上げる一方、直接に指示を下す事も可能となり、中間管理職が不要となった。
高給を食んできた部長クラスのリストラは「ダウンサイジング・オブ・アメリカ」と呼ばれ、企業コストを圧縮して国際競争力を高める一方、ホワイトカラーの失業という深刻な社会問題を生みだした。

 アメリカ議会でこうした議論が連日行われている頃、日本の国会ではこれに見合う議論が全くなかった。
当時の宮沢政権は冷戦の終結を「平和の配当が受けられる」という認識で受け止め、政権の関心はもっぱらバブル崩壊後の不況対策だった。
また国民の関心も佐川急便事件などの政治腐敗にあって、選挙制度をどうするかという政治改革論議に目を奪われていた。

 クリントン政権が北朝鮮の核施設を空爆しようとした事がある。
1994年6月で日本にも連絡があり羽田政権は朝鮮半島での戦争をいったんは覚悟した。
しかし韓国の要請もあり空爆は直前になって回避され、カーター元大統領と金日成国家主席が会談することになった。
因みにこのとき北朝鮮空爆を議会で強く主張したのが今回共和党の大統領候補に確実視されているマケイン上院議員である。
 最終的にはアメリカなどが軽水炉建設に協力することの見返りに北朝鮮は核開発を凍結するという米朝枠組み合意が成立した。
しかしその後北朝鮮は核兵器保有宣言を行って枠組み合意は破られた。

 クリントン政権の弱腰を批判して北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだブッシュ大統領だが、本気で北朝鮮の金正日政権を打倒する気があるかと言えば全くそうではない。
イラクで手一杯だなどと言い訳しながら、実はやる気がない。金正日政権を倒してもアメリカにメリットはなく、むしろ存続させて日本に脅威を与えさせる方が国益になる。
北朝鮮のミサイルがアメリカに届くのなら問題だが、今のところその危険はない。
北朝鮮を脅威に感じているのは何と言っても日本で、日本は北朝鮮のミサイルが上空を飛んだことに慌ててアメリカのMD(ミサイル防衛)計画を受け入れた。

 北朝鮮の存在は日本に米軍再編計画を受け入れさせるためにも都合が良い。
MD兵器購入と併せて再編のための莫大な費用を日本に負わせることが出来る。
北朝鮮という国はアメリカにとってこれまで以上に日本をアメリカの軍事戦略に組み込み、かつ日本から抵抗なく金を引き剥がすための一石二鳥の存在である。
そしていずれ北朝鮮政権を解体する必要が出てきたときには、そのための費用をまた日本から引き出す事が出来る。過去の植民地支配の清算をしなければならないという理由で。

 衝撃的な「9・11」によってアメリカは「テロとの戦い」に立ち上がり、イラク戦争が開始された。
イラクとアルカイダに関係があるかのように思わせ、大量破壊兵器が存在すると主張して始めた戦争だが、本当の理由はそんなところにはない。
私が最も納得できる理由は、イラクのサダム・フセインがユーロで石油取引の決済をしようとしていたことだ。
これはアメリカが許せることではない。アメリカが世界を支配できるのはドルが世界の基軸通貨であること、軍事力が世界最強であること、情報を操る事が出来ること、そしてエネルギー資源を押さえていることである。

 エネルギーをはじめ資源を支配しようとするアメリカの欲望にはすさまじいものがある。
地球だけでなく宇宙の資源を押さえる方法についてもすでに着々と計画が立てられている。
ところがサダム・フセインはフランスのシラク大統領とユーロで石油取引を行うことを決めた。
それでなくともドルの基軸通貨としての地位を脅かしつつあるのはユーロである。このままユーロ決済が増えていけばドルがその地位を失う日が近づく。現在のアメリカにとってユーロは「仮想敵」なのである。
そのユーロが中東諸国の石油決済に使われることになればアメリカの地位は大きく揺らぐ。
イラクをヨーロッパから引き離しアメリカの支配下に置かなければならない。
それがイラク戦争に踏み切った本当の理由ではないかと私は思っている。
だからフランスとドイツはイラク戦争の開始に強く反対し、その後もアメリカを批判し続けた。

 しかしアメリカは「テロとの戦い」を表看板にすればどの国も反対できないことを利用して、イラク戦争のためと称しながらタジキスタンやウズベキスタンなど中央アジアの国々に次々米軍基地を作っていった。
これらの基地は地理的に見るとロシアと中国とをにらむ絶好の位置にあり、イラク戦争のためというより中国、ロシアに向いた軍事基地と見る事が出来る。
しかもこれらの地域は地下資源の宝庫とも見られている。

 「9・11」はやらせだという説もあるが、「テロとの戦い」を名目にしてアメリカは様々な権益を確保しているのである。
そしてアメリカの凄いところは、イラク戦争であれだけアメリカと反目したフランスとドイツの指導者が今ではサルコジ、メルケルという大いなる親米派に代わったということだ。
選挙による国民の選択までアメリカは操作できるということなのだろうか。(続く)



アメリカという国(3)田中良紹の  2008.02.19
http://www.the-commons.jp/commons/main/kokkai/2008/02/post_100.html

 20世紀最後のアメリカ大統領であるクリントンは、21世紀を「情報化とグローバリズム」の時代と位置づけ、光ファイバー網の全米普及を訴えていたゴア副大統領と組んで情報通信革命を主導した。

 1996年には放送と通信の世界に競争原理を導入するため60年ぶりとなる電気通信法の改正を行った。法案に大統領が署名する儀式は通常ホワイトハウスの大統領執務室で行うが、このときクリントンとゴアのコンビは式典を議会図書館に移し、華々しいデモンストレーションと共に署名した。

 会場に設けられた大スクリーンにインターネットの画面が映し出され、全米の若者とネットサーフィンを楽しみながら、クリントンは「これまで1つの電話局と3つのテレビ局と古い法律がアメリカを縛ってきた。私が今日古い法律を変える。これで通信と放送を縛ってきた規制はなくなる。これからは国が主導するのではなく民間の力で新しい時代を切り開こう」と演説した。

 独占企業であった「1つの電話局」AT&Tはすでにレーガン時代に7分割されていたが、しかし分割されてもなお地域独占であった。
クリントンはそれらに相互参入を認めることで競争を激化させた。
結果として電話料金はみるみる下がり、私のワシントン事務所の通信コストは10分の1に圧縮された。それがアメリカにインターネット社会を花開かせる事になる。

 三大ネットワークに代表されるアメリカの放送界には80年代からケ−ブルテレビという新たな世界が誕生し、地上波テレビとは異なる放送の世界を形成していたが、湾岸戦争でCNNが一躍メジャーとなったように、ケーブルテレビ業界からはその後も新規参入のチャンネルが育っていった。
イラク戦争ではFOXニュースが新たに名を上げた。こうした新興チャンネルが育っていく背景には既得権益の側には立たないアメリカ政治の力がある。

 資本主義は放っておけば強いものがますます強くなる。既得権益は競争を嫌がり新規参入を排除する。それは自然の流れだがそれを放置すれば経済は活性化せず資本主義は自滅する。そこに政治の役割がある。だからアメリカでは政治は既得権益の側につかず、なるべく新規参入の側を応援する。

 アメリカがソ連との冷戦に勝利したのはビル・ゲイツを生み出す国だからだと言ったのはギングリッチ元下院議長である。
アメリカには巨大企業IBMに挑戦する新興企業マイクロソフトを育てる土壌があった。その結果パソコンが社会の隅々にまで普及して本格的なコンピューター社会が到来した。それがなければ精密誘導兵器の誕生もなかったというのである。
ソ連がどれほどの人員とカネを投入して国家プロジェクトを立ち上げてもビル・ゲイツが生まれる素地がなければ、あの精密誘導兵器は出来なかった。だからソ連は精密誘導兵器を見せられたときアメリカとの競争を断念したと言うのである。

 アメリカが情報革命に力を入れていた頃日本はそれとは全く逆の方向に向かっていた。
中曽根政権は1985年に電電公社を民営化したが、レーガン政権のように分割はできず、巨大独占私企業のNTTが誕生して肝心の電話料金は全く下がらなかった。通信コストが下がらないことは日本の国際競争力にマイナスなのだがそれを問題にする者もいなかった。

 また中曽根政権は日米貿易摩擦の解消を理由にアメリカからBS(放送衛星)を買ってきて難視聴対策を理由にNHKに打ち上げさせた。
BSはデジタル技術の開発によってアメリカでは打ち上げの必要がなくなったお払い箱の衛星だが、日本はアメリカに逆行してBS放送を開始した。
表向きの理由である難視聴対策は実は嘘で、中曽根政権の狙いはNHKを戦前の同盟通信にも似た国家的情報機関にすることにあった。
それまでも放送界は銀行と同様に役所が全てを許認可する護送船団の業界だったが、頂点のNHKをさらに肥大化させ、ピラミッド型の構造をより強化しようとしたのである。

 こうしてアメリカがケーブルテレビを中心に放送事業の規制緩和と新規参入を促進しようとしているとき、日本は逆に新規参入を排除して護送船団の強化に取り組んでいた。
そのためケーブルテレビ産業には様々な規制がかけられ、一方で世界のどの国もやっていないBS放送が開始された。BS放送はコストも高くチャンネルが少ないため、NHK、民放、新聞社が参入するだけの既得権益の世界となっている。

 こうした政策によって肥大化させられたNHKはそのために内部に腐敗がはびこり、尽きる事のない不祥事が連続することになる。
同様に既得権益に守られた民放も下請け製作会社を奴隷化することで莫大な利益を得るようになり、放送倫理の喪失とIT業界からのM&Aの脅威に晒されるようになった。

 情報通信分野における世界の潮流はやはりソフトパワー大国アメリカが先頭を走り、その後をかつての日本のように新興国が追いかける構図だが、その中で80年代以降は日本だけが異なる道を歩んでいる。それで果たして良いのだろうかと心配になる。
そしてこうした状況は、日本という国がアメリカとは違って情報を全く重視しない国だと言う事を示している。

 テレビはもはやレベルが下がりすぎて論評の対象にもならないが、そのテレビ局を系列化して天下り先を確保した新聞社の劣化も著しい。
企業、役所、政治家等の情報操作に利用されている事がありありの記事やピントの外れた解説を読むと、これがジャーナリズムかと暗澹たる思いになる。
せめてジャーナリズムなどと胸を張らずに、「こういう見方もありますがどうでしょうか」と謙虚な姿勢でいて欲しいと思う。

 90年代半ばには情報通信革命と歩調を合わせるようにアメリカに様々な金融商品が出回るようになった。
金儲けに疎い私などはほとんど理解できないのだが、天気や気温を当てることが金融取引になるなどというデリバティブ(金融派生商品)の話を聞くと、何でもかんでも金儲けの対象になるようで頭が混乱してくる。
しかしアメリカ経済が好況を呈するようになると、通信技術の発達と相まってバーチャルな世界で巨額の資金が瞬時に動き回るようになった。

 1997年、アメリカのヘッジファンドがアジアの国々で空売りを仕掛け、買い支える事が出来なくなったタイ、フィリピン、マレーシア、韓国、インドネシアは変動相場制に移行せざるを得なくなり通貨が急激に下落した。いわゆるアジア通貨危機である。
タイでは企業の倒産が相次いで失業者が町に溢れ、マレーシアではGDPが6.5%も落ち込み、韓国ではIMF(国際通貨基金)が経済再建のために介入して財閥グループの解体を行い、インドネシアではインフレのために暴動が起きて32年間独裁者として君臨したスハルト大統領が退陣した。
この出来事は現代では戦争をしなくとも、空売りを仕掛けるだけで国家を破綻させ、政権を変える事が可能であることを示している。空売りが軍隊の代わりになるのである。

 このとき日本は宮沢政権が300億ドルの資金を提供して各国から評価されたが、同時に提案したアジア通貨基金の構想にアメリカが反対した。
アジア通貨基金構想はアジア各国がアメリカのドルから自立して経済統合を目指そうとするものだが、その主導権を日本が握ることにアメリカは反対だった。
アメリカはアジアの統合において中国が主導権を握ることには強い抵抗を見せないが、日本が握る事は絶対に許さない。

 こうした対応をみるとアメリカにとって中国は大国だが、日本は周辺国に過ぎないことがわかる。
中国は「仮想敵国」になるかもしれないが、しかし大国であることをアメリカは認めている。
しかし日本はかつて経済大国となり一瞬「仮想敵国」になるかもしれないと思わせたが、結局はただの従属国に過ぎない事が良く分かった。
そんな日本に国際的な役回りなど出来るはずがないしやらせたくもない。それがアメリカの考えであると私には見える。

 橋本元総理がかつて日本が巨額の米国債を保有していることに言及し、あたかも日本の優位性を誇示するかのような発言をしたが、おそらくアメリカはそれを何とも思っていない。
どれほど日本から借金をしても、それが返済できなくとも、日本が何も出来ない事は十分に分かっている。
既に自衛隊は単独で日本を守る軍隊ではなく、アメリカ軍の一部となっている。だから日本は何があってもアメリカについてくるしかないと思っている。

 かつて自民党の椎名悦三郎元副総裁はアメリカを「お番犬様」と呼んだ。その言葉にはやむをえず防衛はアメリカに委ねるが、あくまでも飼い主は日本だとの自負心が感じられる。
そう言いながら戦後の日本はせっせと金儲けに精を出してきた。
しかし今やアメリカは「お番犬様」どころか「ご主人様」になって、借金の尻拭いから不祥事の後始末までさせられそうな気配なのである。(続く)
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